
凛とした静寂の中、数ミリの感覚に全神経を集中させる。
喧騒の六本木の街を抜けて歩く。
黒塀に囲まれた、現実世界より隔絶された秘密裏な空間。
五感をリセットする本物の時間。
白木のカウンター越しに凛とした佇まいで立つ女性がいる。
寿司職人井上ゆり氏だ。
カウンターに立つ井上ゆり氏の手元をはじめてみる時。
その華奢な手から生み出される作品から目を逸らすことは不可能だ。
音もなく迷いもないその静けさ、研ぎ澄まされた集中力。
「鮨ならではのライブ感に、強く惹かれたんです」
和食、イタリアン、パティシエ。様々な選択肢がある中で、彼女が選んだのは鮨の世界だった。鮨の世界。それは長く男性中心の社会というイメージが強く、その門を叩くのは相当な覚悟があったのではと想像する。
「本当に自分にできるのだろうか」ーかつて彼女もそんな迷いや不安を抱えていた時期があったという。それでも一歩踏み出し、続けてみると見えてくるものがあった。
性別ではなく技術を磨き続ける姿勢。動画をとり、握る姿勢、腕の動かし方、カウンター越しにお客様から見られる角度。地味な努力が今の井上ゆり氏を支えている。
魚を見極める目、切りつけの角度、シャリの温度、そして握る指先の力加減。職人それぞれの感性が素直に表現される鮨。ほんのわずかな違いが一貫の顔を別物に変えてしまう。井上ゆり氏が見せる一貫の表情は井上ゆり氏だけのものだ。
「数ミリ」の違いを一生かけて追及する道。彼女は自分の人生を、この研ぎ澄まされた世界に捧げることを選んだ。
鮨は、職人と客の距離が極めて近い。自身の作品により客の口元、表情がダイレクトに伝わる、そんな世界を彼女は魅力的だと感じ、その空間を自ら作り出せることに井上ゆり氏は大きな魅力を感じている。
美意識、おもてなしの心、四季の移ろい、米、海苔、器に至るまで、数多くの生産者の思いが彼女の作品一貫に込められている。

彼女の覚悟と美学が凝縮された、名刺代わりの最初の一品
華奢な手元を凝視する緊張感の中、彼女が差し出した名刺がわりの一品。
美しいサシが入り、艶やかに色っぽい大トロの握り。
柵を切っている時は、大トロだと理解している。しかし、カウンターに作品が載せられた瞬間、牛刺しかと錯覚してしまう。
細かく入れられた切り目。
「舌の上で抵抗感なく感じて欲しい」
井上ゆり氏の心遣いである。
自らの意思で考え、作品として提供し、やがて客の口元へ運ばれる。そしてほぼ同時に現れるそれぞれの表情。それこそが井上ゆり氏が求めてやまない究極の喜びであり、仕事である。
一生学び続ける楽しさ、自分にしか握れない鮨を探求する。
必ず手に入れたいものは誰にも知られたくない。
誰かが歌っている。
鮨 六式。
落ちた。
次回は静寂の中に響く圧倒的な没入感。





